おんな城主 直虎 最終回までのあらすじネタバレを予想

2017年12月17日(日)に放送予定となる「おんな城主 直虎」の最終回までのあらすじネタバレを予想しています。直虎の最期までのあらすじをバラしているので、ネタバレを知りたくない人は、飛ばしてくださいね。

物語は史実に基づいて予想しますが、井伊直虎自体の史料が少なく、脚本によるところが多いので、井伊直虎の最期がどのように描かれるのかは脚本次第と言ったところです。

逆に言うと、それが大河ドラマとして面白さを加えることが出来るので、最終回までがどのような展開になって行くのかが期待されます。

ですので、ここに書かれたことは直虎の生涯に自分なりの解釈を加えたものなので、ドラマの内容とは異なることがありますご了承ください

※この記事は、2017年4月29日に執筆し、8月26日に追記しました。

※2017年9月26日、追記しました。

※2017年9月30日、最終回のあらすじを公開しました。最終回あらすじネタバレ~石を継ぐ者

おんな城主 直虎の放送時間

毎週日曜日
NHK総合 20:00~20:45
NHK BSプレミアム 18:00~18:45
再放送
NHK総合毎週土曜日 13:05~13:50

おんな城主 直虎 17話から30話までのあらすじネタバレまとめ

このブログでは、すでに30話までのあらすじネタバレは発表しています。まだ、すべてをご覧になっていない方のためにも、17話から30話までを簡単におさらいしておきましょう。

直虎は種子島を井伊で作ろうと思いつく

瀬戸方久が持ち込んだ「種子島」(鉄砲のこと)を、井伊で作ることを思いついた井伊直虎は、井平村を訪れ鍛冶屋の五平に同じものを作るように頼んだ。しかし、ある日種子島がなくなっていることに気づいた直虎が慌てていると、小野政次が種子島を持って現れた。

おんな城主 直虎18話直之
画像引用元:http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story17/

小野政次は、種子島のような物騒なものを作っていては、今川への謀反と疑われてもしかないので、黙って見過ごすわけにはいかないと言うのだ。さらに、政次は脇の甘い直虎に城主を降りるように言い、駿府(今川の中心)に出向くように求めた。

謀反の疑いをかけられた直虎は絶対絶命だったが、方久が直虎に命令されたと偽って、今川氏真に種子島を五平ごと売り渡してしまっていた。これで直虎には謀反の疑いがないことが証明されて井伊に戻ることが出来た。

おんな城主 直虎18話瀬戸方久
画像引用元:http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story18/

武田信玄が義信を幽閉

そんなときに、武田信玄が嫡男(ちゃくなん)の武田義信を謀反の疑いで幽閉したと今川に知らせが入った。武田義信の正室は今川氏真の妹の鈴であり、今川氏真は、武田信玄が義信を幽閉したとは信じ難かった。武田との同盟が危うくなった今川に書状が届いた。鈴が義信と離縁したとあった。

嫡男・・・正室(正嫡)の生んだ男子のうち最も年長の子のこと。

瀬戸村で初めて綿の収穫が行われた年に、目付けの近藤康用(こんどう やすもち)の領内で木が盗まれ、犯人を探すことになった。中野直之が犯人の男を捕まえると、それは直虎の知っている盗賊団の頭だった。しかし、後日牢屋に入れておいた頭は逃げ出していた。

おんな城主 直虎19話盗賊
画像引用元:http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story19/

直親の娘と言う女子が現れる

ある日、井伊に自分は井伊直親の娘だと言う若い百姓の女子が訪ねて来た。名前を高瀬と言うが、誰も井伊直親に娘がいるとは知らなかった。しかし、話を聞くうちに本当の娘であることが分かり、井伊家は正式に姫として迎えることになった。

武田が上杉と戦っているころに織田信長が暗躍し、武田と手を結んでいた。武田としては強力な味方を得ることになり、今川を討ち取りながら、織田信長の盟友、徳川家康の動きも封じることが出来ると考えていた。

直虎が誘拐される

瀬戸方久が今川に売った種子島は、駿府の商人が引き取ることになり、意気消沈した方久は気賀で商売をすることにした。井伊で採れた木綿を売るために方久は直虎、直之、六左衛門を連れて気賀を訪れた。そこで事件が発生した。直虎が何者かに誘拐されたのだ。直虎が誘拐されて入れられた地下牢は、以前牢屋から逃げ出した男と連中のたまり場だった。

身代金と引き換えに直之が指定された場所に行くと直虎だけがいた。直之の乗ってきた馬を盗むのが目的だった盗賊は、直之に気づいて何も取らずに逃げて行った。

瀬戸方久に勧められ直虎は材木の商いを始める

無事に帰ることができた直虎は、方久から材木を売る商売をしたらどうかと勧められた。そこで直虎は、木を切る技術を持っている盗賊団に不思議な縁を感じていて、盗賊団に伐採を頼むことにした。男は龍雲丸と名乗った。家臣の中野直之と奥山六左衛門は龍雲丸達を使うことを心配したが、小野政次は盗賊団の伐採の技術を盗んだら彼らを追い返そうとしていた。

木を盗まれた近藤康用が、今度は菩提寺の本尊の仏様が盗まれ、井伊が仏様を盗んだ盗賊をかくまっているのではないかと、直虎に訴えに来た。そこで南渓和尚が代わりの仏様を寄進することにし、菩提寺に行ってみると仏様は本尊にあった。近藤康用は訳がわからず、うろたえるばかりだった。しかし、この件は、龍雲丸と南渓和尚が仕込んだ芝居だった。近藤に泡を吹かせた龍雲丸の手柄を認めた直虎は、龍雲丸に家来になるように言った。しかし、龍雲丸は、直虎の求めを断り自由な道を選んだ。

桜と桔梗に縁談が持ち上がる

武田に裏切られた今川は、対抗策として塩の商売を禁じて武田に塩が行き届かない「塩止め」の策に出た。その頃、新野家の桜に庵原朝昌(いはら ともまさ)との縁談の話が来ていた。庵原朝昌は、今川家重臣の庵原家の嫡男である。同じころに織田信長は、徳川家康が武田と手を結ばないように、自分の娘の徳姫を徳川家康の嫡男、竹千代と一緒にさせようとしていた。

桜が庵原朝昌に嫁いだころ、桜の姉の桔梗(ききょう)にも縁談が来た。相手は、北条氏康の家臣、狩野飛騨守(かのう ひだのかみ)の息子だった。今川は北条と手を結んでいたが、直虎が今川の動きを探るために政次に依頼して縁談を進めていたのだ。

今川氏真は気賀に城を造ることを命じる

材木の商売を進めていた直虎は、材木を売った気賀の成川屋が徳川家康の回し者だと知らず、今川から謀反の疑いをかけられた。材木はすでに徳川家康の所に向かっていたが、龍雲丸達の働きで材木を取り返すことに成功し、直虎の謀反の疑いは晴れた。帰ってきた材木は駿府に置かれたままになっていたが、事もあろうに今川氏真はその材木で気賀に城を造れと言い出した。城は気賀の商人を監視するためであった。

気賀にいる龍雲丸にしてみれば、気賀で今川に城を造らせるために材木を取り返したのではないので、城の建築に反対した。新しく建てる城の城主には大沢基胤(おおさわ もとたね)の名前が挙がっていたが、方久の勧めにより直虎が城主になることが決まった。

武田義信の自害で今川と武田が決裂

その後、今川氏真の元に武田義信が自害したとの知らせが入った。これで今川と武田の同盟の決裂は決定的になった。新しい城の建築は、堀江城の中安兵部(なかやす ひょうぶ)に、気賀の中村屋の与太夫が掛け合って、城を作るお金は出すから龍雲丸の好きなように城を造らせてくれと頼んだ。

その年の秋、今川氏真の義理の弟の武田義信の自害を知った寿桂尼は、武田義信の正室の鈴を取り返すために、武田信玄に直談判したが埒(らち)があかなかった。そこで武田と同盟を結んでいる北条幻庵(げんあん)に頼んで、鈴を取り返す約束を武田信玄に取り付けた。しかし、武田信玄は鈴を駿府に戻す代わりに、もう一度武田と手を組むことを今川氏真に求めた。

龍雲丸が造った堀川城は直虎が治めるところとなったが、年が改まると方久が直虎に代わって城を治めることになった。

一度は裏切られた武田とよりを戻すことを嫌った今川氏真だが、寿桂尼に説得されて武田信玄の要求を呑んだ。すると、寿桂尼が倒れたが、氏真の看病で回復した。寿桂尼は直虎を呼んで真意を探ろうとしていた。

直虎は徳川家康と手を結ぶことを決意

直虎は今川の勢いが衰えるのを見て、小野政次と相談して徳川家康に寝返ることを決めていたのだ。寿桂尼は直虎の気持ちを見抜いていた。直虎は徳川家康に書状を渡して、戦を避けるために徳川が上杉と手を結ぶようにと伝えた。

寿桂尼が死去、徳川は武田と同盟

永禄十一年の3月に寿桂尼は死去した。家康は直虎の進言を受けて上杉と結ぶつもりだったが、武田の使者、山県昌景(やまがた まさかげ)が徳川と組んで今川に攻め込もうと持ちかけた。家康は家臣の酒井忠次に押し切られてしまい、上杉と結ぶことを断念し、武田と組むことになった。

徳川家康に仕える山伏、松下常慶は、直虎に今川から寝返って徳川家康につくことを確認しにやって来た。直虎が意を決して徳川に味方すると答えると、松下常慶はその証として虎松の母のしのを人質に要求した。今川に疑われないために、しのは引馬にいる松下常慶の兄に嫁ぐことになり、虎松は母と分かれることになった。

今川氏真が井伊を潰しにかかる

寿桂尼の死後、武田との和睦を破った今川は、武田から遠江を譲り渡すように迫られた。今川氏真は、武田信玄の勝手な言い分に怒り、武田との戦が避けられない状況になって来た。武田と戦になれば徳川が西から攻めて来ることが分かっていたので、今川氏真は徳川領の三河に隣接する井伊を今川直轄にしようとした。今川氏真は、何かと反発する井伊に国境を任せておくことが出来なかったからだ。

おんな城主 直虎18話地図
画像引用元:http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story17/

そこで今川氏真は井伊を潰すために、徳政令を方久に受け入れるように命じた。今川家家臣の関口氏経も直虎を訪れ、今川氏真の命令を受け入れるように告げた。直虎は悩んだ末に一つの答えを導き出した。

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第31話から最終回までのあらすじ予想

では、ここから直虎がどのような人生を歩んだのかを、歴史と共に推測してみたいと思います。また小野政次も、直虎と深い関わりがあるので、直虎の人生は小野政次抜きには語れません。そしてまだ幼い虎松がこれからどうなるのかも合わせて考えてみます。

直虎がついに徳政令を発動、小野政次が城主に

今川氏真によって徳政令が井伊谷一帯に発布されたが、井伊直虎はその後二年間も徳政令を発動しませんでした。それは、蜂前神社の祝田禰宜が小野政次を動かしたからだといわれています。紆余曲折、直虎が徳政令を受け入れると、直虎の地頭(領主)職は廃止され、小野政次が代わりに城主を務め井伊領を支配することになります。

それでは直虎はどうしていたかと言うことになりますが、おそらく龍潭寺で南渓和尚の元、母の祐椿尼と一緒に過ごしていたのではないかと思われます。直親の子の虎松の母は、虎松をおいて松下家に嫁いでしまったので、一人ぼっちの虎松を直虎が育てたのでしょう。城主を政次に明け渡した直虎は、城主になる以前の次郎法師に戻ったと言うことになりますね。

歴史を知らなければ直虎は死ぬまで城主だったかのように思ってしまいますが、意外と早く城主の座を降りることになってしまいます。しかし、ここまでで33話くらいになるはずなので、まだ最終回には早すぎます。まだ17話くらい残るので、その後は小野政次と虎松を中心に物語が進むでしょう。

武田が今川に攻め込み氏真は逃亡

直虎が徳政令を発動した永禄十一(1568)年の12月半ば、突如、武田信玄が駿府に攻め込んで来て、今川氏真達は抵抗する間もなく今川館は焼け落ち、氏真は掛川城へと逃げ出しました。小野政次は、このとき虎松を殺して井伊軍の実権を握り今川に加勢しようと画策しますが、虎松は三河の鳳来寺に逃れ助かっています。

16話までは小野政次は自分が盾となって井伊を守るようになっていて、直虎もそんな小野政次の姿を理解するようになっていますが、幼なじみの直親の子の虎松を殺そうとすることから見ると、どうも小野政次は最初から、井伊谷の乗っ取りをたくらんでいたのではないかと思われます。

今川家が井伊に介入していたことを知った徳川家康は、武田と示し合わせて井伊谷へ攻め入り、井伊谷城を奪います。このときに井伊谷三人衆と呼ばれた、近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時が寝返ったために徳川家康はやすやすと井伊谷を手に入れることが出来たとされています。

小野政次の最期

永禄十二(1569)年の4月、井伊谷を牛耳っていた小野政次は磔(はりつけ)にされます。結局、小野政次は井伊谷を守ることは出来ませんでした。小野政次役を演じている高橋一生さんを見れるのもここまでなので残念ですね。

5月に徳川家康が掛川城に攻め入ると、今川氏真は降伏し今川家は滅亡します。政次亡き後の井伊谷は、井伊谷三人衆が管理することになります。

徳川家康は引馬城を改築して浜松城とし、三河の岡崎城から武田を牽制するために移り住んで来ました。駿河は武田領となり、遠江は徳川領となりましたが、今川を倒すと言う共通の目的を果たした両者は、次第に敵対するようになります。

武田信玄が死去

武田は井伊谷近くの仏坂で、近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時らと戦い、さらに翌年には25,000の大軍で遠江に侵攻し、三方ヶ原の戦いで徳川家康を撃破します。元亀4(1573)年に武田信玄が病死すると、武田軍の主力は撤退しましたが、山県昌景(やまがた まさかげ)らは井伊谷周辺に留まり、天正三年までの約二年間、井伊谷を占拠していました。

虎松が井伊谷へ戻って来た

一年前の天正二(1574)年 に、直親の十三回忌に虎松が十五歳になって鳳来寺から井伊谷へ戻って来ます。直虎はさぞ喜んだことでしょう。のちに虎松は、井伊直政となるのですが、井伊直政役は菅田将暉さんが演じることが決まっているので、恐らく三十五話くらいから菅田将暉さんが登場すると思われます。菅田将暉ファンにとってはお待ちかねの登場です。(追記)菅田将暉さんは、第38話に初登場が決まりました(2017/8/24)。

→ 菅田将暉「おんな城主 直虎」で井伊直政役に!豪傑役はイメージ違い?

井伊谷へ戻った来た虎松ですが、まだ将来が見えないときに運命を変えたのは徳川家康との出会いでした。井伊家の存続を心配した直虎と祐椿尼が、徳川家康が鷹狩に行ったときに、虎松を家康に会わせるように計らったようです。それは天正三年2月のことでした。

虎松は万千代と名乗り、徳川家康の家臣となる

徳川家康は井伊直親との陰謀が今川氏真に発覚して暗殺されたので、自分のために命を失ったも同然として虎松を家臣とし、自分の幼名から取った千代を与えて万千代としました。姓も松下から井伊に戻るように命じ、300石を与えました。

井伊万千代となった虎松は、早くも同年(天正三・1575年) 5月に徳川家康と織田信長の連合に加わり、長篠の戦いで武田軍を破ります。翌年の天正四年には井伊万千代は、寝ていた徳川家康が数人の間者から殺されそうになったときに気づき、一人を討ち取り、一人に手傷を負わせて家康を救ったのです。大手柄を立てた万千代は、3,000石に加増され、井伊の領地を取り戻します。それは、万千代がわずか十六歳のことでした。

家康が襲われたのが、高天神城の戦いのときの出来事でした。さらに万千代は、「高天神城の戦い」で本多忠勝や榊原康政らとともに先鋒として戦い、徳川軍の中で頭角を現します。

織田と徳川は武田を滅ぼし、織田信長は自害

二年後の天正六年に、またも万千代は戦で手柄をあげ、10,000石に加増されます。天正十年3月に織田と徳川の連合軍は天目山の戦い武田軍を滅亡させます。これで甲斐と信濃は織田信長の家臣達に、駿河は徳川領となります。しかし、三ヶ月後の6月に安土城から京へ向かう途中の本能寺で、織田信長明智光秀の奇襲に遭い、包囲されたのを知ると館に火を放ち自害してしまいます(本能寺の変)。信長が亡くなると家康も危うくなり、万千代らは京、大坂を遊覧していた家康を先導し、決死の覚悟で伊賀を越えて、なんとか岡崎に戻ったのです。

信長亡き後、豊臣秀吉が天下統一

織田信長の死を知った豊臣秀吉は、京へと戻り中国大返しと言われる行軍で、明智光秀を山崎の戦いで討ち破ります。その後、豊臣秀吉は織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継となりました。そして大坂城を築き、関白・大政大臣に就任し、全国の大名を臣従させて天下統一を果たすのです。

一方、徳川家康はこの混乱に乗じて、甲斐・信濃を占領し、東国一の力を蓄えて行きます。家康を支えたのは、万千代らの家臣達でした。

万千代(井伊直政)が徳川家康の家臣となってからは、万千代は直虎の手から離れているので、直虎は祐椿尼と龍潭寺で過ごし、天正6(1578)年頃には松岳院と言う庵に移り住んでいることになります。城主でなくなり、虎松もいなくなった直虎は、松岳院でひっそりと暮らしていたのでしょう。しのの代わりに虎松を育てた直虎のおかげで、虎松も立派に成長することが出来ました。

直虎の最期

恐らくドラマでは、虎松が徳川家康の家臣になるところまでは、詳しく描かれるでしょう。虎松は家康の元で次々と手柄を立てるのですが、そこは直虎には直接関係がないので、描かれてもあっさりとしたものになると思います。そして直虎が亡くなるところで最終回となるはずです。最終回は、2017年12月17日の予定です。

直虎が城主の座から引きずり降ろされてから14年、虎松が戻ってから8年後の天正十(1582)年8月26日に井伊直虎は、松岳院の庵で静かに息を引き取ります。最後まで直虎は万千代(虎松)の行く末を案じていたでしょう。直虎の墓は龍潭寺にあり、直親の隣にあります。虎松が徳川家康の家臣となって、直虎が亡くなるまでの7年間は詳しいことが分かっていませんが、直虎は僧侶として過ごしていたのではないでしょうか。空白の7年間がドラマではどのように描かれるのか、そして直虎の最期をどのように描くのかがドラマの最後の焦点になります。

追記(8/26)

直虎が静かに暮らし、虎松の出世を喜びながらひっそりと亡くなるのが史実のようですが、そこは確証の少ない直虎なので、詳しいことはまったく分かっていません。ただ、直虎がひっそりと亡くなってしまっては、ドラマとしては面白くないので、脚本の森下佳子さんはきっとすごい結末を考えていると思います。

一つ気がかりなのは、滅亡した今川氏真の動きです。武田信玄によって駿府が侵攻され氏真は掛川城へ逃れます。武田と同盟を結んでいた德川が、掛川城を攻めますが、氏真は半年ほど抵抗します。その間、武田は遠江を侵攻しないと德川と約束していたにもかかわらず、約束を破って遠江を攻めようとします。

このため、德川と今川は和睦し、永禄12(1569)年に氏真は掛川城を德川に明け渡します。その後は、伊豆、小田原を経て京都に移り、その後、三河に戻り家康の直臣となります。そして、諏訪原城の城主を務めますが、1年足らずで解任され、天正5(1578)年に家康によって浜松に呼び戻されています。

ここで、筆者なりに結末を考えてみました!

氏真が恨みを放つ案

氏真はそれから10年くらいは浜松にいたようで、その後京都へ移り、1612年ごろに子孫のいる江戸に移住し、慶長19(1615)年に江戸で亡くなっています。当時としてはかなり長生きで、享年77歳でした。

氏真が浜松に戻ってから4年後に直虎が亡くなっているので、もしかしたら、今川を裏切った直虎を根に持ち、直虎が氏真によって暗殺されるなんて過激なことも、ドラマでは考えられなくはないです。

直政に見守られながら息を引き取る案

一方、虎松は高天神城の戦いで功績を上げ、天正10(1582) 年に22歳で元服し直政と名乗っています。この年に、家康の養女で松平康親の娘のと結婚します。直政にとっては、天正10年は色々あった年でした。

同年6月21日、織田信長が明智光秀に襲撃され自害した本能寺の変で、気落ちした家康が自刃しようとするのですが、家臣たちに説得されて京都から三河へ、命からがら逃げ帰るのです。そのときに、直政も家康に帯同し三河へ戻っています。

直虎の母の祐椿尼も、天正6(1578)年、直虎が亡くなる4年前に亡くなっているので、直虎は生きる気力を失っていたかもしれません。

そこで直虎が病気になり、京都でそのことを聞いた直政が気にかけるも本能寺の変が起こり、偶然にも三河に戻ることになります。三河に戻った1ヶ月後に、直虎が龍潭寺で直政や南渓和尚らに見守られながら「井伊を頼む」と言って亡くなりそうな気がします。

そして、直政が最終的に彦根藩主になるまでが簡単に描かれ、最終回になるような気がします。

直虎の生まれた年は不明ですが、亡くなったのは恐らく45才くらいだったようで、当時としても短命だった方ですね。直親、政次らの幼なじみや母に先立たれ、気苦労を重ねて来た直虎ですが、直政が残ったことで井伊が存続し、気が抜けてしまったのかもしれません。

最終回のあらすじは9月に明らかになる

「おんな城主 直虎」のガイドブックでは30話まで明らかになってますが、8月の時点ではまだその後が発売されていません。原作も35話までしか明らかになっていません。恐らく原作の完結編は9月20日に発売になるので、最終回のあらすじは2017年9月20日に明らかになると思われます。

あらすじが明らかになれば、このブログでもあらすじを公表しますね。

【追記9/26】直虎の最期が明らかに!

おんな城主直虎の最期が明らかになりました。第50回の最終回は、「石を継ぐ者」というタイトルです。

織田信長が浜松に来たときに、德川家康が丁重に迎えたことから信長が感激し、そのお礼に信長が家康を安土に招き、堺や京都を見物させました。

直虎は万千代の依頼で、京にいる德川家の御用商人、茶屋四郎次郎と会っていました。要件は何かが起こったときに、三河へ帰るための経路を押さえるためでした。

本能寺の変がおこる

この頃の信長は、德川家を抹殺しようと画策していて、德川家康は織田から明智側につこうとしていました。

一方、明智光秀は、德川に忠誠を誓う証として、信長暗殺の際に人質として自分の子供、自然(じねん)を井伊に預けていました。

直虎は、船で帰る準備を整えるために堺に赴きます。そこで中村屋と龍雲丸に出会いますが、喜んでいる暇はありませんでした。

そして、天正10(1582)年6月、家康が堺から京へ向かう途中、織田信長は本能寺で明智光秀によって暗殺されます。

それから間もなく、明智光秀も山崎の合戦で羽柴秀吉によって落命。家康は、羽柴秀吉に合流しようとします。

直虎が病に伏す

それからしばらくして、自然が僧侶になるための得度式が行われます。

そのころから直虎は咳が止まらず、ときに高熱を発するようになります。

同じころ、新野のあやめが直虎のもとへやって来て、羽柴秀吉に仕える家臣の妻、三女の桜と、夫に先立たれた次女の桔梗を德川に奉公できるようにしてもらいたいと願い出ていました。

直虎は、商いで忙しい方久のこともあり、あやめも、桜や桔梗と一緒に暮らせれば一番なのではないかと、南渓に話していました。

その日から咳が激しくなり、熱も高く、やがて床から離れられなくなります。

直虎死す

天正10(1582)年8月28日、直虎を収めた白い棺が、道端で両手を合わせた長い長い人の列の間をゆっくりと運ばれて行きました。

2ヶ月に及んだ北条との戦いが終わり、万千代は、甲斐、信濃を德川に、上野を北条に安堵する交渉を任せられます。

大役を果たした万千代は、四万石に加増され、ようやく元服を許されたのです。

「今日、これより直政と名乗るがよい」

「直、政・・・」

「井伊の者の通字である直、そして小野の通字である政を取り、そなたの名とせよ」

のちの德川四天王が誕生した瞬間です。

江戸幕府の誕生

それから三十数年後、直虎が願った戦のない世の中が実現します。

以降、260年に渡って井伊家は江戸幕府を支えます。

わずか十人しか選ばれなかった大老のうち、実に半分の五人が井伊家から選出されました。

直虎は疑いようもなく、乱世の世から平和な日の本を築いた重要な礎石(そせき)の一枚なのでした。

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