西郷どん原作あらすじ6要約
江戸に到着した吉之助は、有村俊斎と樺山三円と再会する。
吉之助は、「お庭方」と言う斉彬の住居の庭の手入れをする役職につき、斉彬と初めて言葉を交わすことになる。
斉彬は吉之助に藤田東湖のところに行って色々な話を聞いて来るように命じる。
異国船の到来などで婚礼の遅れていた篤姫だが、安政の大地震が起こって婚礼道具や衣装がすべてダメになってしまった。
そこで斉彬は、吉之助に1年以内にすべての婚礼道具を揃えるように命じる。
なんとかすべての道具を揃えた吉之助は、幾島と篤姫に初めて対面した。
西郷どん原作あらすじ6
薩摩を経って45日目に吉之助はついに江戸に到着し、有村俊斎、樺山三円らと再会した。
二人の身なりはすっかり江戸者として板についていた。
吉之助は観光よりも先に湯島の孔子廟(こうしびょう)に行きたいと望んだ。
いかにも吉之助らしい発想に樺山は微笑した。
吉之助はお庭方を命じられる
翌日吉之助は、庭を手入れする「お庭方」という役職を命じられた。
それは樺山らも聞いたことのない役職だったが、どうやら斉彬の発案だったらしい。
斉彬が2回ほど廊下を通り過ぎたことがあったが、今日は吉之助の前でピタリと止まった。
水戸藩の藤田東湖に会うように言われた吉之助は、藤田が出版した「正気の歌」を暗証できるほど熟読して藤田のことは良く知っていた。
吉之助は藤田東湖に会う
6日後に樺山三円と土産の一升徳利を持って藤田東湖を訪ねた。
部屋に現れたのは、藤田東湖と戸田蓬軒の二人だった。
樺山は、日本が日米和親条約を結ばされて不利な立場に立たされていることを藤田東湖に訴えた。
藤田東湖は、あめりか帰りの中浜万次郎、のちのジョン万次郎のこと、異国から邪悪な文化が入ってこないように徳川家康が鎖国をしたことなどを説明した。
藤田東湖は、「尊皇攘夷」と言う言葉を作った本人で、尊皇攘夷を進めようとしていることを直接聞いた吉之助は、感動のあまり体が震えた。
翌日、斉彬に昨日のことを伝えると、斉彬はまた藤田に会うように吉之助に言った。
吉之助は有村俊斎から将軍家の話を聞く
吉之助は有村俊斎から、斉彬が次の公方(くぼう)は、一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)だと言っていたと言う。
紀州の慶福(よしとみ)さまの方が将軍家に血筋が近のだが、幼少のためやはり無理なのだそうだ。
家慶公が亡くなったときに、家定が後を継ぐことになったのだが、体が弱く先は長くないと周囲が言っていて、次の公方は慶喜さま、慶福さまだと噂したと、有村俊斎が教えてくれた。
家定に嫁ぐ斉彬の娘、篤姫さまが可哀想だと有村は言った。
吉之助は一度だけ婚礼の準備をして過ごしている篤姫を見たことがあった。
大柄でがっしりとした薩摩特有の体格で、活力に溢れていた篤姫を吉之助は一瞬見惚れてしまったのだ。
吉之助は篤姫を見守ることを斉彬から命じられる
年が空けて吉之助は、また斉彬に呼び止められた。
話はなんと、於一(篤姫)を守ってほしいと言うことだった。
そのことは於一の世話人、幾島にも通してあると斉彬は言った。
篤姫が江戸に到着してからは、京の禁裏が炎上したり、異国の軍艦が次々と現れたりで、婚礼が延期されていた。
吉之助より8つ年下の篤姫は、すでに21歳になっていた。
安政の大地震が起きる
秋になった安政2(1855)年に大地震が起きて屋敷の多くは損壊し、婚礼のために用意された衣装、道具のすべてが地震の粉塵の中に消えた。
吉之助は、斉彬からどうしても来年の秋には篤姫を嫁に行かせなければならず、そのために道具一切を揃えるようにと斉彬から命じられた。
しかし、篤姫の婚礼道具は3年かかって職人が作ったものなので、1年では無理だと吉之助は職人から断られた。
だが、吉之助は職人一人ひとりを訪ねて歩き、1ヶ月もたたぬうちに多くの商人たちが、「西郷さまのためなら」と言って震災の中から立ち上がった。
吉之助はすべての婚礼道具を揃える
そして約束どおり翌年の秋にはすべての婚礼道具と衣装が揃ったのである。
吉之助は幾島に呼ばれて廊下で待っていると、「西郷」と若い女の声で呼ばれた。
「このたびはご苦労であった。礼を言います」
「ははーっ」
「苦しゅうない、面を上げよ」
吉之助は始めてそこで篤姫の顔をまじまじと見た。
吉之助が女の顔に心を奪われたのは初めてのことだった。
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