4月24日にTBS系で放送された「教えてもらう前と後~偉人の衝撃の老後」で、徳川慶喜の晩年が紹介されました。
「西郷どん」でヒー様、一橋慶喜で松田翔太さんが演じて好評を得ているのですが、徳川幕府の最後の将軍となったあと、明治維新を経て大正2年に77才で亡くなるまでカメラオタクになっていたことが分かりました。
「西郷どん」でも描かれているように、器用で博学、多趣味な印象の慶喜公ですが、実際もそのとおりで、何をやっても一流だったそうです。
中でもカメラには、とりつかれたように没頭し、日々写真撮影に明け暮れていたようです。
誰よりも変わっていたのは、自分の写真の多さで、これほど自分の写真を多く撮った偉人はいません。
それだけに、ナルシストだったのかと言う意見もあるほどです。
教えてもらう前と後|徳川慶喜の晩年はカメラオタク

慶應3年の大政奉還の翌年に32才だった徳川慶喜は、江戸から静岡の駿府に住んでいました。
駿府と言えば、「おんな城主直虎」で何度も出て来た今川家のお膝元ですね。
徳川慶喜は、明治維新後にカメラに取り憑かれて、77才に没するまでカメラにハマっていたそうです。
慶喜公は自分で撮影した写真を500枚以上残しています。
150年近くたった今でも、写真が残っているのは驚きですね!
初期の写真は、自宅の周りを撮っていたのですが、静岡の名所を撮るようになりました。
何気ない日常を切り取ったような写真が多く、子供や植物まで、ありとあらゆるものを撮っていたようです。

写真を撮っている徳川慶喜の姿も残っています。
背広に帽子姿で、とてもかつての将軍だとは思えないですね。

教えてもらう前と後|徳川慶喜はナルシスト?
一番思い入れのある写真は自分の写真だったそうで、多くの写真が残っています。
これほど自分の姿を撮っていた偉人は後にも先にもいません。
歴史の移り変わりと共に、自分の姿を残していたので、見方によってはナルシストだと見ることもできます。


西郷隆盛が写真嫌いで、写真が一枚も残っていないのとは対照的です。
カメラ以外にも多趣だったようで、西洋絵画、裁縫、ビリヤードなどにも興味があったのですが、どれをやっても一流だったそうです。
慶喜の晩年を知ると、ヒー様が絵が上手かったと言うのも頷けます。
これで、「西郷どん」のヒー様を見る目が変わりますね。
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